2023-10-16 ロシュフォールでの公演終わり、中東のこと
ファッションウィークの撮影に始まり14日の本番までなにかと心が落ち着かなかった10月。眼の前に何かがあるたびに気もそぞろになって生活を手放すようではまた平常を取り戻すのに一苦労だと分かっているのだけれど、うまく戻ってこれないのだった。
14日の本番はうまくいったと思う。
今回は音楽だけではなく朗読にも耳を傾けねばならず、しかもほとんど地明かりのなかで一時間ひとりで踊るというそんなに簡単でもないパフォーマンスだったので直前までは心忙しくあれをしようこれも見せようと組み立てていたのだけれど本番にはなんとなくそういうことを手放してその時々を大事に感じて溢れてくるものだけでやろう、と思った。
終演後にサインを求めてくれた方がいて、まだ10歳くらいだと思うけれど、それでもう15年くらい前に横浜で初めて人前で即興をしたときのことを思い出した。
その時にもやはり小さな観客の方が終演後にきらきらした目で「あなたの踊りは良寛の書のようだった」と評してくれたのだった。今でもその言葉は宝だ。
パレスチナとイスラエルの間に起きている問題のこと、SNSで色んな言葉を見かけては何かを書きたいような気がしながら、やはり何も言えずページを閉じる。
その代わりではないが『現代思想 イスラエル-パレスチナ問題特集』を再読している。ここに出てくるいくつかの書籍を読みたいがほとんどはKindleになっておらず読みたいものリストに入れる。
イスラエルの旗を掲げたデモは許容されてパレスチナの旗を掲げたデモは禁止され罰せられる、その態度がすでに、フランスがこの問題にどういう役割をはたしてきたかをうかがわせる。人権の国、平等の国、自由の国とうたいうたわれてきたけれど、自国の利益の及ぶ範囲にしか適応されないならそれは真のそれではない。現実には国の運営とはそういうものかもしれないけど…こんな欺瞞がこうもあからさまに行われるなんてと改めて愕然とする。
フランスに住むようになってまだ9年ほどだし、私が経験したことはこの国の文化のほんの一部にしかすぎない。パリのテロの時も、パンデミックの時も、労働者のデモの時も、同じパリに住んでいる日本の方達とも見ているものはまるで違うなと感じた。
同じ「パリ在住の日本人」であっても、隣に誰が住んでいてどういう経済活動をしていてどういう出自の友達とどういう会話をしているか、フランスに対して何を抱いているか、で見えるものはまるで違う。
だからその人がどんな立場の人でも、その言葉を鵜呑みにはすまいと思う。同時にその言葉の端をとらえてその人のすべてを判断することもしまいとも思う。